MBAで印象に残った授業

f:id:career-mountains:20140603165750j:plain夏のシカゴをミシガン湖より。



MBAに関連する内容で、MBAで履修して良かったと思う授業について。卒業したら細かいことは間違いなく忘れてしまうので、 記憶のはっきりしているうちに書いてみます。

第6位:Entrepreneurial Finance and Private Equity

シカゴMBAの看板教授の一人であるKaplan教授が教える、起業家、ベンチャーキャピタリスト、プライベートエクイティファンド、年金投資家のそれぞれの立場から見て、投資をする時、受ける時に気をつけるべき点を体系的に学ぶ授業。

内容もさることながら、私はKaplan教授の「教え方」が勉強になりました。なるほど、ファイナンスや投資の理屈ってこういうふうにクラスで教えられるんだ、という。この授業のノートは今でもとってあり、見返すと先生の「授業運び」が頭に蘇ってきます。

ただ、期末試験の成績があまり良くなかったことだけは今でもあまり納得がいっていません(笑)。結構頑張ったんだけどなあ。

第5位:New Venture and Small Enterprise Lab

シカゴのスタートアップ企業に学生がチームを組んでコンサルティングをするというプロジェクト型の授業。顧客のスタートアップ企業にかなりクセがあり、一緒にプロジェクトをやったメンバーにもクセがあり、プロジェクト中はかなりストレスが溜りました。しかし、終わってみればプロジェクトのメンバーとも仲良くなり、スタートアップ「と」働くという意味でも学びがあり、良い経験になりました 。もう一度やりたいかと言われたら、やりたくないですが。こういうプロジェクト「体験」のカリキュラムは、どのMBAでも増えているので、最近のMBAっぽい経験と言えるかもしれません。

第4位:Data Mining

ビッグデータの授業。毎週新しいコンセプトを学び、そのコンセプトを使って実際にRという統計ソフトを使ってデータ分析して毎週レポートをグループで作成する、というプロセスをひたすら10週間繰り返します。アカデミックと数量分析を重んじるシカゴMBAならではの、渋さ満点の授業です。Linear Regressionぐらいなら私でも数式をフォローできますが、Model Selection、Trees、Text Miningとか言われるともう何とかプログラムをまわすだけで精いっぱいです。

私は統計を勉強したことがなかったのですが、Business Statisticsという初歩の統計の授業、Applied Regression Analysisという一歩進んだ統計の授業を経て、3つ目にこの授業を履修してやっと統計の考え方が何となくわかった気がします。そういう意味では、苦手ながら何とか頑張ってきた意味があったのかなとも思いますが、最終学期に履修したこの授業は統計が苦手な生徒4人でグループを組んだら毎週宿題が苦労の連続で、これまたもう一度やりたいかと言われたらやりたくないです。わからないメンバーで試行錯誤するからみんなでレベルアップできたという側面もありますが、とにかく大変でした。

第3位:Power and Influence in Organizations

組織における「権力と影響力」について学ぶ授業。この授業自体はそれほどスペシャルな感じはしないのですが、MBA初学期に履修したManaging in Organizationsという組織の心理学の授業、MBAの真ん中に履修したStrategies and Processes of Negotiationという交渉術の授業を経て、Behavioral Science(行動科学)を仕事にどう結びつけて使えるか、を自分なりに昇華することができたという意味で、この系統の授業をしつこくとって良かったなと思っています。

Behavioral Scienceの考え方を学んで強く思ったのは、一流の研究者は物事を見る上で役立つ概念を作る力や物事を体系的に整理する力が抜群に優れており、その「言葉」をうまく学ぶことができればリアルの世界でも価値が出せる、そしてその言葉を実証する努力がBehavioral Scienceの世界では強く行われているということです。この世界に一回どっぷりと浸かると、個人の経験談だけを語るようなビジネス書が薄く感じられるようになってしまいます。同じ系統のManagerial Decision MakingとAdvanced Negotiationsという授業も、時間があればとってみたかったです。

自分の学びを一言で表現すると、「ハーバードビジネスレビューをどういうふうに読んで現実に活かしたら良いかよく理解できた」という感じなのですが、すごく頭でっかちな感じがしますね(苦笑)。気をつけないと。

第2位:Understanding Central Banks

銀行論や日本経済が専門のKasyap教授が教える中央銀行の政策論の授業。といってもMBA向けなので、経済学の講義ではなく、経済学やファイナンスの基本的な考え方を援用しながら各国の中央銀行の政策決定過程や政策決定のクセを学んでいきます。

この授業では、中央銀行の世界の先端を理解することができたのが良かったです(先端の動きを私が100%理解できたのではなく、「何が先端か」を理解できた)。私はマクロ経済をしっかりと勉強したことがなく、現場で働いている時は日銀のニュースなどを見ながら「中央銀行の金融の専門家はもの凄く頭の良い人たちで複雑なマジック理論を使いこなして政策を動かしているに違いない」と、半ば本気で思っていたのですが、マクロ経済学の授業を履修した後にこの授業をとって、そんなマジックなんてないということが理解できました。この先生が、ここまでは経済学者や中央銀行の専門家が努力してみんなこういう理解をしている、ここから先はこんな考え方でみんな手探りでやっている、と説明するなら、そうなんだろうと。日本の経済に対する自分の見方も、この授業を履修し、これまでの自分のモヤモヤした考えと組み合わさることで、かなり確立されたと思います。

あと、Kasyap教授は実証データをうまくさばいて議論を組み立てるのが上手いので、なるほどそういうふうにデータを見せられるのねという意味でデータの使い方の勉強にもなりました。同じKasyap教授のThe Analytics of Financial Crisesという、金融危機について扱った授業も履修しましたが、個人的にはこちらの渋いUnderstanding Central Banksの方が印象に残っています。渋いので、履修している生徒の数は30人ぐらいでしたが。。。

第1位:Business Policy

これは、以前にもブログで触れたDavis教授の名物授業で、個人の生き方の戦略やクリエイティビティといったテーマについて考えていきます。この授業で「自分の人生が変わった!」なんていうことは特にないのですが(そういう人もいます)、教授歴50年で80歳を越える博識なDavis教授の教えることへのエネルギーがこの授業からはものすごく感じられます。

また、学期の終わり間際に教授の部屋を尋ねて一時間近く面談をしてもらったのもとても印象に残っています。教授の部屋は、学校の研究者フロアの奥の角部屋でした。80歳を越える教授は、マックとiPhoneを使いこなし(!)本棚には戦略から歴史まであらゆるジャンル(!!)の本が並び、さらに教授曰く「自分は、歳を重ねて学べば学ぶほど、ブックショップを訪れて書棚を眺めるたびに、自分には、まだこんなに知らない世界があると感じる」(!!!)とのこと。知的好奇心が旺盛すぎ、このような人を賢人と言うのだと思いました。他にもいろいろとお話を記したノートが手元にありますが、これは私だけの秘密です。年齢を考えるといつ引退されてもおかしくないのですが、出来る限り教えていただき、長生きしていただきたいです。

アカデミックかフワッとしたものか

こうやって振り返ってみると、会計、ファイナンスや戦略といった「MBA的な」ハードスキルの授業はほとんど記憶に残る授業に入っていなくて、アカデミックに振れたもの(統計、金融)と、フワッとしたもの(Behavioral Science、戦略とクリエイティビティ)が印象に残っていることがわかります。大学の価値は、究極的にはこういうエリアにあるのかもしれません。そして、理論や議論が好きな私の学びのスタイルに、アカデミックなシカゴのMBAは合っていたのだなあと感じます。学びのスタイルは、学校選びの基準のひとつでした。当時の選択は、間違っていなかったようですね。

MBAで得たこと

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入学した年の秋のシカゴ大学。思い出の一枚。


まだ、ファイナルプロジェクトや試験が残っていますが、2年間のMBA生活も終わりが近づいてきました。すでに他の学校は卒業を迎えているところも多く、出遅れ感(?)は否めないのですが、ここで簡単にこの2年間で得たことを振り返ってみたいと思います。

はじめての海外暮らしをし、いろいろな国の人とコミュニケーションがとれるようになった

留学生活で一番直接的に得たものは何かと聞かれたら、迷いなく「いろいろな国の人とコミュニケーションをとれるようになったこと」と答えます。今でもリスニング力ではアメリカ人同士の雑談に?マークが付くことは多く、話す力も書く力も留学前に毛が生えたぐらいで私の英語力が留学を経て劇的に高くなったとは言えませんが(汗)、英語で様々なバックグラウンドの人とやりとりをすることに抵抗はなくなりましたし、必要に迫られれば言うべきことを言う姿勢も身に付きました。シカゴのベンチャー企業にコンサルティングするプロジェクトで、ミーティング後に私が相手の会社のCEO(難し人物としてプロジェクトメンバーに認識されていた)にヘタクソな英語でプロジェクトへの懸念を立ち話で伝えたところ、他のメンバーに「お前、あのCEOにvoluntaryに話しかけて何か言ったのか」と言われたこともあります。

仕事で海外の人と接するのとの最大に違いは、留学では学生というフラットな立場で本音で付き合いができるということです。仕事だとお互いに立場があるので、言えること、言えないことがあったりするわけですが、学生はしがらみがないのでお互いに素で接することができます(留学を経て、アメリカ人は立場をわきまえて話すので、仕事の場では結構本音を言わないということがわかりました)。そこで、「アメリカ人はこういうのが好きなんだな」とか、「こういう物事の進め方は世界でそんなに変わらないんだな」とか、コミュニケーションの基本を学ぶことができました。そうそう、今となっては遠い昔の思い出ですが、アメリカに来た当初は自宅の電気を開通させるのもアメリカ流サービスの洗礼を浴びて一苦労でした。

また、学生生活を通じて仲の良い友人を世界中に何人か作ることができました。忙しい学校生活のさなかに食べ物を持ち寄ってバーベキューをしたりするのは楽しいものです。卒業をしていろいろな場所に散らばっていったら会うのも難しくなるでしょうが、長い人生のどこかでまたゆっくりと再会したいものです。

世の中を理解する軸を深められた

MBAの効果で二番目にあげたいのが、世の中を理解する大きな軸を深く学ぶことができたということです。ビジネス教養、といったら言い過ぎかもしれませんが、留学前に比べると自分の視野は大きく広がっていると思います。

例えば、授業で様々な「科目」に触れて、ビジネスで求められるスキルのインデックスを持つことができました。現場のビジネスの深さにはビジネススクールの個別の授業はもちろん適いませんが、「この問題を解決するにはどういうとっかかりがあったっけ」という疑問が浮かんだ時に解決のきっかけとなるインデックスを持つことができたのは、長い目で見ると役に立つような気がしています。

シカゴは比較的アカデミックな色彩が濃い学校で、授業でもアカデミックペーパーを読まされたりすることがあるのですが、社会人生活を経た後にアカデミックなものの考え方に触れたことも価値があるのではないかと、2年間の終わりに近づいて感じています。私は経済学で使われる難しい数学はサッパリわかりませんが、シカゴMBAではそんな私にも(出来る限り)わかるように、単純化したモデルやわかりやすい統計で経済や金融の考え方のエッセンスを教えてくれ、自分でそれを再現することが求められます。はじめはそれを何とも思っていなかったのですが、最近はその物事の本質を単純化して分析し示唆を出す考え方そのものを美しく有用だと感じるようになりました。仕事でも、自分がこのような考え方をできるように多少なりともなっているといいのですが。

また、様々な業界の人と話をする機会を得て、世界に対する見方も広がりました。忙しく働いていた時は、どうしてもその時々の仕事や業界のことだけに目を奪われてしまいますが、学生としていろいろな業界のシニアからジュニアまで様々なポジションの方と話をさせていただく機会に恵まれ、視野を広げることができたと思います。MBAの卒業生でプライベートエクイティ業界の大物の話を聞いたこともあれば、シカゴの学部を出てアフリカで単身事業を立ち上げた女性と話をさせてもらったこともあります。

もうひとつ忘れてはいけないのは、シカゴにいる日本人の方との付き合いです。海外に住んでいる日本人には結構面白い人が多く、またお互いに学生で近くに住んでいれば会う時間をやりくりすることもそれほど難しくありません。シカゴの日本人のコミュニティでお会いできた方々とは、帰国後も末永くお付き合いをさせていただきたいと思っています。

自分を見つめ直す機会を得られた

上記の学びや人との出会いとも重複しますが、社会人生活を経た後にいったん頭の中を白紙にして自分の強み、弱みや興味関心について純粋な気持ちで見つめ直す時間を持てたのも、個人的には良かったと思います。そのために大きなお金を払っていると考えるのもどうかという気もしますが、仕事で時間に追われているとそのようなことを考える心の余裕もなかったというのも事実です。

MBAという高品質のビジネス教育を通じて教育について理解を深めた

最後に、これは私の興味関心から来る個人的な学びですが、自分はビジネスをどうしたら学ぶことができるのか、ビジネス教育に関心を持っています。そんな私にとって、ケースディスカッションからアカデミックなやり方まで科目によって先生によって千差万別なハイクオリティな授業を実際に体験し、MBAというコミュニティがどのように運営されているかを知ることは多いに価値がありました。

トップ校のMBAは、高いお金を払って世界中の人が入学しようとする、「世界最高の」ビジネス教育のはずです。本当にこれが現代において「最高の」ビジネス教育かどうかは個人的には思うところがありますが、長い蓄積に裏打ちされ質が高いものであることは間違いありません。

MBAの価値は長い目で見ないとわからない気がする

MBAは、一義的には転職やキャリアアップの機会を提供してくれる学位で、そのために必要なスキルを学ぶことができる場です。学びに意欲的であればあるほど、目標がはっきりしていればいるほど、MBAで得られる学びは多くなると思います。ですので、MBAを志す方、またこの夏からMBAに入学する方には、「なるべく具体的に高いキャリアや人生の目標を設定して、その目標に達成するためにMBAという機会を存分に使って欲しい」と申し上げたいです。ぼんやりと留学するのと、具体的な目標があるのとでは、得られるものが大きく異なります。

で、もちろんMBAを通じて目先のスキルやネットワークも得られるわけですが、2年間の終わりに感じるのは、何だかそれよりも大きなものを得られたような気がする、という感覚です。率直に言って、私は実務能力は働いていた時よりも格段に落ちていると思います。それは、2年間学生をやっていたので当然で、短期的にはマイナスです。でも、長い目で見たら大事になってくる(はずの)、視野の広さやネットワークは大きく広がったような気がします。それがどれぐらい本当に広がっていて、どれぐらい自分の仕事や人生に活かされるものなのかは、卒業して5年、10年経たないと判断できないというのが正直なところです(※)。

この経験が活きていると胸を張って言えるように、また働いてきたいと思います。とりあえず、毎朝ちゃんと起きられるか心配でなりませんが。。みなさん、今後とも宜しくお願いいたします。また、MBA留学に興味のある方は出来るだけ協力させていただきたいのでご連絡下さい。

MBAで何を一番得たと感じるかは、人によって大きく異なります。もしも、私が数年早く(若く)留学していたら、目先のスキルやネットワークの方により大きなバリューを感じていたかもしれません。

官僚に新卒で就職すべき人はどういう人か〜政府の役割

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Original: ThePlanetEris / Flickr

少し前に、東大の現役学生さんと話をさせてもらった時に、「(霞ヶ関の)役所で働くのと民間で働くのはどう違うか」という質問を受けました。その時は私なりの考えを伝えましたが、難しい質問で十分に答えきれなかったという思いがあるので、ここに簡単に私の考えをまとめてみたいと思います。

なお、この記事を丁寧に書いていったら(今のこのポストよりも)もの凄く長くなってしまい収拾がつかなくなったので、このポストではアウトラインのみを記載しています。このテーマに関心のある方は、私も考えを深めて勉強したいので是非ご連絡下さい。

国と国はシステムの競争をしている

私は、国とはひとつの競争の枠組みで、国と国は「適者生存」の原則のもとでシステム間競争をしており、軍事と経済が競争の軸と考えています。軍事と経済は鶏と卵の関係にありますが(厳密には軍事が先)、現代においては主に経済が主な競争のフィールドになっています。

システムには経済的な優劣がある

国というシステムが何で成り立っているか。考え方はいろいろありますが、私は特に文化とフォーマルな仕組みでシステムは成り立っていると考えています。ここで重要な点は、経済的には文化にも仕組みにも優劣がつけられるということです。私は人それぞれに多様な価値観があって良いと考え方の人間ですが、経済的には文化にも冷酷に優劣があると考えます。

少し極端な例をあげると、古代メキシコには「生贄に捧げられる」ことを喜びとする文明があり、高貴な人も喜んで生贄に捧げられていました。文化的にはこれは死生観の問題であり、このような考え方もあっても良いかもしれませんが、経済的にはこの文化は明らかに劣位です。なぜなら、優れた位の高い人たちが、喜んで生贄に捧げられて死んでいったら、国を支える優秀な人材がいなくなってしまいます。

経済的に優位な仕組みのカギは経済的な自由とインセンティブ

経済発展のカギはイノベーションと効率化の追求です。そして、人間はインセンティブの影響を強く受けるので、経済的な自由と「個人と社会のインセンティブを揃えること」が、システムが経済的に優位となる上でポイントだと考えます。

経済的な自由の重要性は、織田信長楽市楽座から社会主義の失敗まで、多くの事例をこの原則で説明できると思います。

「個人と社会のインセンティブを揃えること」とは、言い換えると「個人が個人の幸せのために努力と工夫を積み重ねることが社会の利益と一致するようにすること」です。特に、経済的な利益の追求を重視すると、人の行動の結果が判明するにはタイムラグが生じることがある、社会には情報の非対称性が存在する、という二点において、個人が利益を追求することが中長期的な社会の利益と一致しないことがあります。経済的な自由は重要ですが、この時間軸と情報の歪みを補正するために、個人と社会のインセンティブを揃える「ルール」を設けることは重要になります。

政府の仕事は4つ!

さて、ここでやっと本題に入りますが、私が考える政府の大事な仕事は以下の4つですここで言う政府には、立法府も行政府も含まれます。

1)フォーマルな制度を作る
2)国民のお金を再配分する
3)公共財を提供する
4)国家間競争を勝ち抜く(他国との交渉など)

フォーマルな制度とは、法律や規制をイメージして下さい。お金の再分配は、税金や所得移転だけでなく、規制による権益のコントロールも含まれます。公共財は、公教育、警察や軍備などの提供です。国家間競争は、主に外交や軍事ですが、規制のコントロールや公共財の提供の範囲が国家間の競争に影響を与えることも多くあります。

政府の仕事と経済の自由・社会のインセンティブの関係

上記のとおり、私は経済的な自由と「個人と社会のインセンティブを揃えること」が経済発展の上で重要だと考えていますが、上記4つの仕事はいずれも経済的な自由と個人と社会のインセンティブを「国としてどのように設計するか」に深く結びついています。フォーマルな制度が経済的な自由と社会のインセンティブにどのように結びつくかはイメージしやすいと思いますが、お金の再配分や公共財の提供も、広い意味で言えばインセンティブの設計と言えます。例えば、相続税の設計がどのように家計の資金の動きに影響するか、タクシー業界の規制(これはマーケットの配分を規制によって動かしているので広い意味で言えば既存のタクシー業界にお金を配分するルール)が既存のタクシー会社や新しい配車サービスの動きにどのような影響を与えるか、公教育の存在が子どもの生活にどのような影響を与えるか、これらはいずれもお金の再配分や公共財の提供が人々のインセンティブを動かしている事例です。

政府の仕事は出来る限り少なくなるべき

政府は一般的に規制を増やして社会をコントロールしようとします。これは、私たちが「予見性」を求めるというバイアスを持っているがゆえでもありますし、政府という主体もひとつの組織なので組織として「拡大したい」というインセンティブを持っています。

しかし、経済的に強いシステムを構築するため、経済的な自由を追求するためには、政府による規制は出来る限り少なくなるべきです。一方で、何でも自由にすればインセンティブの面で多くの失敗が生じるので、社会のインセンティブを揃えるために賢く最低限のルールは必要です。「必要なルールは設定するが、出来る限り仕事は少ない方が良い」。これが、私がイメージする政府の仕事の理想です。

政府の仕事の中で国家間競争だけは異質

政府の仕事は出来るだけ少ない方が良いのですが、国家間競争についてだけは異なる側面があります。国家間競争は仕組みの設計と異なる特殊な側面を持っています。国家間競争は、日常生活やビジネスの常識が通じない、基本的に無秩序で一般人から見ると非常に特殊な世界です。上記のように、国の中では国は個人の努力の方向性を黒子として「調整」し奉仕する存在であるべきと私は考えますが、国家間競争の世界では、国が主体的に他国と渡り合う必要があります。これは、「世界政府」が存在しない以上、どうしようもない現実です。

政府の仕事をまとめると

政府に求められる仕事をまとめると、政府には、1)フォーマルな制度を作る、2)国民のお金を再配分する、3)公共財を提供する、4)国家間競争を勝ち抜く(他国との交渉など)という、4つの仕事がありました。いずれも経済的な自由と社会のインセンティブの設計に関わるもので、政府の仕事はできるだけ少ない方が良いです。ただし、国家間競争に関する機能だけは、競争に必要な機能をしっかりと持つ必要があります。

政治家と官僚

では、これらのエリアに携わりたい人が霞ヶ関で働くのが良いか、と言えば、少し違います。政府の中には政治と官僚があり、これらは役割が異なるからです。

日本では官僚の役割は伝統的に大きいですが、政治が高度な意思決定を行い、官僚はそのプロセスをサポートするのが本来の役割分担です。

国家間競争を戦いたい人、公共財提供のプロフェッショナルになりたい人は官僚を目指すべき

私がイメージする、官僚になるべき人は、国家間競争の世界で生きていきたい人です。国家間競争は上記のように特殊な世界で、特に外交官は特殊な「国家間の競争のルール」を深く理解することが求められるので、経験が重要だと思っています。また、これは民間では絶対にできない仕事なので、この仕事に深く魅せられているのであれば官僚を目指すのが良いと思います。

また、公共財の提供において「テクニカルなサービス提供のプロフェッショナル」を目指したいのであれば、それも官僚を目指す強い動機になると思います。公共財の提供が最もわかりやすく、例えば災害対応に強い使命を持って消防に携わるとか、ですね。

制度とお金の配分の設計を自分の意思で行いたい人は官僚を目指すべきでない

一方で、制度の作成とお金の配分になると、多くの「意欲的な」学生さんが持つイメージと私の考えは異なってきます。よく、「こういう問題を解決したい」ので官僚を目指す、という話を聞くのですが、経済的自由と社会のインセンティブの設計に強い意思を持って取り組みたいのであれば、それは政治家を目指すべきです。大きな意思決定を行うのはあくまで政治であり、官僚の役割はそれをサポートすることに限られます。小さな政府を目指していても、大きな政府を目指していても、政府の役割を変えて行きたいならそれは官僚ではなく政治を目指すのが筋です。

また、「そうは言っても、ある問題を解決するために経験を積むには官僚が一番良い」という方もいると思います。確かに、官僚は大きな仕事に早くから携われます。しかし、私はこの意見には反対です。経済的自由と社会のインセンティブの設計、これらをバランス感覚を持って行うためには、リアルな経済の動き、ビジネスの動き、そこで働く人々の考え、これらを肌身で理解することが不可欠です。率直に言って官僚としてキャリアをはじめてその世界でずっと生きている人が、これらの感覚を持つことはかなり難しいと思います。最近、30歳前後の何人かの経済官僚の方とお話する機会がありましたが、やはりビジネスの世界で生きてきた人とは感覚が少し違う、というのが正直なところです。お金に対する感覚が薄いと思います。

さらに、人間は自分と自分が所属する組織の権限を増やしたいと思う生き物です。私の考える、経済的な自由が出来る限り実現する社会とは、官僚の仕事が出来る限り削減される社会で、このような発想や行動様式を役所で「心の底から」持つことは非常に難しいと思います。ここは、社会に対する見方が強く反映される箇所です。しかし、歴史を振り返れば、経済的な自由が経済の強さにつながることは明らかだと思います。

制度やお金の配分に関心を持ち、かつ官僚になるのが良い人、それはテクニカルな法律論に強い興味を持つ方や、統計や制度論の分析理解に関心を持つ、学術肌の強い人だと私は考えます。もう少し「お金」の臭いがする(あるいは、本来お金の臭いがするべき)政策立案、また「難しいインセンティブ設計が求められる」仕事は、優秀な民間から人材を登用して、学術的なスタッフと一緒に取り組むのが最も効率的だと思います。

成長戦略を毎年書いても経済は成長しません。もうやるべきことはわかっているのだから、あとはしかるべき規制の緩和とリソースの再配分を行うべきで、それは官僚ではなく政治の仕事です。経済を成長させるのは、ビジネスです。優秀な官僚の方は、もちろんこの点をわかっていらっしゃるのですが。。。

全く別のキャリア論として

最後に、全く視点が変わりますが、政治家を目指すのに官僚を経るのはキャリアステップとしては(良い悪いは別として)近道だと思います。ですので、そのような発想で官僚を目指すのは現実的にはアリだと思いますが、これまでの議論とは趣旨が少し違うので最後にちょろっと触れる程度にしておきます。

まとめると

まとめると、官僚を目指すのが良い人は、以下のいずれかに当てはまる人です。
1)国家間競争に直接携わりたい
2)ある公共財を提供するプロフェッショナルになりたい
3)制度やお金の再配分の設計について、法律論、制度論や統計からテクニカルに分析理解を究めたい
4)(政治家になりたい人がキャリアステップとして)

何かの「社会的な」問題を解決するという高い志を持って官僚を目指したい方、もしも経済の自由と社会のインセンティブのバランス良い設計が重要という私の考えに同意してもらえるなら、まずはビジネスの世界でお金とバランスの感覚を持つのが良いと思います。まして、これから何十年かは制度ではなく技術とビジネスのイノベーションが社会を変える大きなきっかけになる(はずの)時代なのですから。

もしもあなたが「疑似」社会主義を実現するためにもの凄く大きな政府を指向する人なのなら(実際に、とにかく道路を作るのが大好きという考えの人が学生時代の知人にいました)、私は申し上げたいです。あなたの見方は間違っていますよ、あなたのやることは長い目で見たら日本のためになりませんよ、と。

出来る限りスパッと議論を整理するように心がけて書いてみたけれど、、

現実には、ビジネスと最もつながりの深い経済政策に携わる場合も、その政策をスタッフとしてリードする人が必ず民間の経験があるのがベストで官僚叩き上げの人ではダメかというと、必ずしもそう言い切れないケースもあります。パッと思いつくのは、エネルギー政策でしょうか。エネルギーはビジネスでもありますが、「エネルギー安全保障」という言葉もあるようにお金だけでは測りきれない国家間競争や軍事の側面もあり、また原子力の問題に代表されるように社会のあり方に大きく影響を与える側面もあります。このような「非常に広い視点」が求められる仕事のトップは、民間叩き上げの人よりも社会のすべてのステークホルダーにくまなく目が行く(訓練をされている)叩き上げの官僚の方が良いかもしれません。しかし、このような政策エリアは、感覚的にはそれほど多くないと思います。

幸せと経済の関係

このポストでは経済についてばかり書いたので、最後に幸せと経済がどのような関係にあるのかについて簡単に触れさせてください。幸せを感じるためには経済の裏付けがある程度必要(誰も食料に不自由はしたくない)ですが、経済の裏付けがどの程度欲しいかは、幸せの捉え方によって異なります。日本は非常に豊かな国で、人々が望む幸せの物質的なスタンダードも世界的に見れば非常に高いものです。経済発展より精神的な豊かさを、という議論もあり、方向性としては理解できますが、日本に住む人が求める幸せの前提となる経済水準は非常に高いもので、多少その要求水準を落としたとしても経済的な優位を維持するためのシステムとしての努力は依然としてかなり必要だと私は考えています。

また経済の話になってしまった。まあ、今回はそういうエントリーということで。

記事と本の紹介:帰国子女の困難と日本社会

Japan Timesに、帰国子女についての良い記事が掲載されているのを、知人からの紹介で知りました。

Kikokushijo: returnees to a country not yet ready for them

http://www.japantimes.co.jp/community/2014/05/04/issues/kikokushoji-returnees-country-yet-ready/#.U2pk3G8azCR

英語で苦労すると、自分も帰国子女なら!と思うことは多くありますが、帰国子女には帰国子女で言語、カルチャーギャップ、アイデンティティ、学びやキャリアの不連続性など多くの苦労があるのだなあと、留学前や留学後に何人か帰国子女の人たちと接して思います。

上記の記事の中に、以下のような一節があります。

"Sotaro Irie, a returnee who lived in New Jersey until senior high school, calls the adjustment period “the hardest time in my life.” He explains: “I learned that in the U.S., if you have a different opinion, you say it — there is no right answer, so you do not have to be shy or embarrassed. And, in Japan, there is a group opinion with one answer.”"

私は、この引用に記載されているような日本の暗黙の同調性(uniformity)が「大嫌い」なので、どうしたら帰国子女が日本にフィットできるようになるか、ではなく、どうしたら日本が帰国子女がフィットしやすい多様性を認める(diverse)発想になるか、という方に、挑戦してみたいと思っています。

最近若い人と話をしていて、私は学校は大人の世界よりもさらに同調性の圧力が強いのではないかと感じています。皮肉にも、最近、企業はdiverseを求めているにも関わらず、です。なぜ、学校には同調性の圧力が強いのか?学校に関わっている人は、主に、子ども、保護者、教師(教授)、職員、です。子どもは大人の影響で育つのですから、保護者や教師など大人に問題があると考えるべきでしょう。

学校の性格は企業の人材ニーズが決めていると私は考えています。diverseを主張する会社が増えているものの、「日本的」な企業が多いのが日本の実態です。そして、diverseの必要性に直接触れる人の数はまだまだ少ないので、diverseへのニーズが硬直的で変化のスピードが遅い教育までまだ波及していないと考えられます。教育は社会の価値観の縮図でもあるので、そもそもムラ社会的な発想の強い日本で教育が本当に変化できるのかには困難が予想されます。

私は、日本の日本的たる所以は江戸時代までさかのぼるムラ社会の発想にあると考えています。ムラ社会という表現は昔からありますが、最近読んだわかりやすい本としては以下の本がお勧めです。ちょっと語り口がイラッとする本ですが、人間社会の「あり方」にはそんなにたくさんパターンがなく、私たちの発想は長い歴史の集積に強く影響されていることが読み取れる本です。私はなぜか、昔からムラ社会的な発想ができない人間で、かつアメリカで日本とアメリカの違いを体験してあれこれ考えたことがあるためか、この本の主張は明快に頭に入ってきました。

いろいろと書き散らかしましたが、記事と本のご紹介でした。

シカゴは寒く、ボリビアは高かった

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Original: Rupert Taylor-Price / Flickr

唐突ですが、タレントのイモトアヤコさんがエベレストに挑戦を行っていました。しかし、多数の現地シェルパが巻き込まれる雪崩がエベレストで起きた影響で今年の挑戦は中止となりました。シェルパの地位や待遇の改善は長年の課題とされており、この悲劇を乗り越えて地元の人々により良い環境が整備され、登山が再開されることを願いたいと思います。

さて、イモトさんはテレビの企画で世界の山々に登り続けているわけですが(視聴率が高いらしいのでご存知の方も多いかもしれません)、この番組を見ながら「山のエキスパートが豪華についていることを多少割り引いても、イモトアヤコは本当に凄い」といつも思っています。私には絶対にできません。そう思うのはシカゴ生活と南米に旅行をした時の経験を踏まえてでして、マナスル登頂を見た時に「これは絶対に自分には無理」と思った理由を、自分の留学中の体験を踏まえて3つあげてみたいと思います。

高所8,000mは(たぶん)とんでもないところ

旅行でペルーとボリビアに行き、地上3,000〜4,000mの地域で何日か行動しましたが、たった4,000m程度でも高山病になる人はなるし、体は重くなります(4,000mを越えた地域にいたときは、「自分はいま富士山よりも高いんだな〜」と思ったものです)。それを、8,000mに行くというのは、それだけでもアンビリーバブルです。酸素ボンベを付けて寝る環境など想像できません。

体感マイナス30度とか40度とか寒すぎる

「体感マイナス30度!」とか出てきますが、これは本当にとんでもない世界です。シカゴに住んでわかったのは、マイナス10度まではわりと普通に生活できる、マイナス15度まで行くと寒くて顔に素肌を出して10分以上歩くのはやや辛い、マイナス20度を下回ると寒さに強いシカゴっ子も凍傷を警戒して外を出歩くのを最小限にするようになる、ということです。マイナス15度で強風が体に吹き付けると体感マイナス30度ぐらいになりますが、これは本当にシンドイです(シカゴはWindy Cityと呼ばれており、残念ながら冬も強風が吹く日があります)。シカゴなら10分歩いたらコンビニで暖をとって休憩できますが、山ではそんなこともちろんできないわけで、私からするとそんな環境をひたすら歩くなんてクレイジーです。

ちなみに、マイナス15度ぐらいまで行くと、タオルを濡らして外で回すと凍る!というやつができます。シカゴに来た時にシカゴ在住者に言われたのは、「Fashion dies in Chicago in the Winter」でした。シカゴでは冬は防寒対策でみんな着膨れするので、ファッションどころではない、というわけです。

マイナス10度〜20度でテントで寝る

テレビで見て一番しんどいと思ったのはこれです。ボリビアで安宿に泊まって、室温0度〜5度ぐらいの場所に寝たのですが、防寒のジャンパーを着て着膨れして横になっても、寒くて2時間連続で寝ると目が覚めてしまい、体があまり休まりませんでした。その時は本当に、寒い中で寝るってこんなにツラいんだと思いました(マジで)。マイナス10度〜20度とは、シカゴの真冬に外で寝るようなものです。シカゴの真冬は、乞食も凍死しないように外で寝ずに公共施設に退避します。それを何日も山の中でするって、凄すぎます。

ああ、シカゴと南米で感じた寒さと高さに対する良いまとめになりました。このような挑戦をされるイモトさんは凄いと思います。プロのアドバイスを受けて安全には気をつけて、是非もう一度頑張って欲しいなと思います。

いや〜、しかし、シカゴの真冬に外でテント泊するのは無理だな。。。無理だ。

コンテクストを理解することの重要性

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Original: Morten Diesen/Flickr

すでに授業が終わって久しいですが、Business Policyで扱った二本のビデオについて触れてみたいと思います。いずれも、コンテクストを理解することの重要性を示す内容です。

レニ・リーフェンシュタールの民族の祭典

一本目は、レニ・リーフェンシュタールへのインタビュー。彼女は、ナチスのプロパガンダとして有名な民族の祭典を監督し、第二次世界大戦後はナチスの協力者と看做されたため、その才能に関わらず映画の仕事を続けることができませんでした。

彼女はインタビューの中で、以下の点を強調していました。

  • 自分は、ナチスの思想に共感したことはなく、党員となったこともない。
  • 自分は芸術として民族の祭典を作った。プロパガンダの意図はない。
  • 当時は、ナチスの負の部分は明らかになっておらず、多くのドイツ人がナチスを支持していた。ナチスは題材となったベルリンオリンピックを平和の祭典として宣伝し、自分もそれを信じていた。
  • 自分だけでなく、多くの人が当時は民族の祭典を芸術としてみたいた。フランスが映画賞を与えてくれたことがその何よりの証拠だ。
  • 自分は芸術にだけ関心があり、芸術と政治は関係がない。

これらの彼女の発言から、映画を撮ることができなかった戦後のリーフェンシュタールの境遇について皆さんはどのようにお考えになりますか。

私が知っている情報はこれだけですが、私は彼女が映画を撮ることができなかったのは西側諸国によるコンテクストの理解の不足だと考えます。何よりも、民族の祭典が当時フランスで映画賞を得ていたという事実がひっかかります。同時代の(後の)連合国の人たちが賞を与えていたにも関わらず、後からあの映画はプロパガンダで撮った監督はナチスの協力者だと断罪するのは、当時の自分たちのことを棚にあげた後講釈に私には感じられます。

ただ、芸術と政治は全く関係がない(芸術はそれが政治にどのような影響を及ぼすかを考える必要はない)と強く断言するリーフェンシュタールの様子にも強い違和感を感じました。自己弁護のためにそのような考えに至ったのかもしれませんが、それは自分の生み出したものにたいしてあまりにも無責任な言い方で、その考え方そのものには同意できません。作品による政治的結果が明らかなのであれば、芸術家は良心に照らしてその結果を自分が良しとするか判断する責務を負うと思います。授業でも、「この考え方は芸術に対する古い考え方」と断じている芸術関係に携わっていたクラスメイトがいました。自分の立場を弁護するための議論としても、「そもそも芸術と政治は関係ない」と責任逃れを主張するのは彼女の立場を弱くするうまくない議論であり、この主張をあらゆる場で貫いていたのであればその主張のために映画を撮ることができなかったのかもしれません。

私は以上のように考えますが、授業でもいろいろな意見が出たトピックでした。時代背景というコンテクストを踏まえて、後世が当時の芸術家の行動をどのように判断するか。コンテクストを踏まえることの難しさを感じさせられます。

ベトナム戦争を指揮したマクナマラ

さて、もう一つの例はベトナム戦争を国防長官として指揮したマクナマラドキュメンタリーです。ベトナム戦争はアメリカにとっては大失敗であり、ベトナムにとってはおびただしい数の死者を出した悲劇でした。

マクナマラをはじめアメリカは、この戦争を冷戦の一部、つまり西側と東側の戦争として捉えていました。しかし、戦後、ベトナムを訪れたマクナマラは、ベトナムの高官から以下のように強く批判されます。

ベトナムはあの戦争で340万人の死者を出しました。アメリカの人口に換算すれば2700万人です。それだけの死者を出して、あなたたちはいったい何を得たというのですか。はじめに私たちが提示した条件から、何一つ得られなかったではないですか

「あなたは、ベトナムの歴史書を読みましたか。ベトナムにとって、あの戦争は独立戦争です。私たちは、1000年にわたって中国から独立するために戦ってきたのです。誰も、私たちを止めることはできません」

これは、議論のあるリーフェンシュタールの例と異なり、明らかにアメリカがベトナムにとっての戦争のコンテクストを理解できていなかった話だと思います。アメリカがコンテクストを正確に理解できていれば、異なる歴史があったかもしれません。

成熟とは、相手のコンテクストを理解できるようになること

思い返してみると、私が新人時代に営業マンとして教わった一番大事なことは、相手のコンテクストを理解することであり、また私が大学時代に政治思想を好んだのは自らが属する日本というコンテクストを深く理解したいという意欲の表れだったのかもしれません。コンテクストという言葉はいろいろな意味を含んでいるので、一言で言い換えるのが難しいのですが、留学を経てコンテストとは文脈とPersonal Philosophyに整理できるのかなと考えるようになりました。文脈とは、国が相手なら歴史、会社が相手なら会社の市場における立ち位置や会社の成り立ち、ビジネスマンが相手なら相手が会社で置かれている立場でしょうか。一人の人間としては、その人のそれまでの人生そのものや周囲の人との関わり合いがその人の文脈を作ります。相手が置かれている環境、そして相手が物事をどう捉えるか、この二つが掛け合わさってコンテクストになるのかなと。

相手との対話を進めるためには、相手のコンテクストを理解することが第一歩です。しかし、学生として一歩引いて世界を見てみると、コンテクストに対する無理解が世の中に多いことに驚かされます。アメリカ人の外国に対する態度を例にとれば、アメリカ人は「外国を理解することに関心のある人」と「外国に全く関心がなくすべてをアメリカの文脈で見る人」にスパッと分かれます。私にとって、後者の人とコミュニケーションがとりにくいことは言うまでもありません。

異なる立場の二者がいた場合、コンテクストが一致することはありません。しかし、相手のコンテクストを理解することで、相手の考えや行動の理由を知り理解を深めることはできます。そして、相手のコンテクストを理解する姿勢を持ち努力することは、成熟した大人と言われるためのひとつの条件なのではないでしょうか。

Personal Philosophy

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Original: Jean-Pierre Dalbéra/Flicker

先日も触れたDavis教授の授業で、今度はPersonal Philosophyという考え方を学びました。とても面白いと思ったので、ご紹介したいと思います。

Personal Philosophy(パーソナル・フィロソフィー)

  • Personal philosophy can be viewed as someone's definition of "how the world works"
  • It also includes concepts or principles that motivate and inspire
  • Not living accordingly to these principles would be seen as diminishing one's life
  • People often express the desire to pass along their values to succeeding generations

(日本語訳)

  • パーソナル・フィロソフィーは、人の「世界がどのように動いているか」への見方を表している
  • パーソナル・フィロソフィーは、人を動機付けインスパイアする考え方や原則を含んでいる
  • パーソナル・フィロソフィーに沿って生きないことは、人生の価値を減じているように感じられる
  • 人は、しばしば自分の価値観を次の世代に伝えようとする

世の中への見方と個人の価値観は表裏一体

特に面白いと感じたのは、「個人の哲学」は、個人の世の中に対する見方であると同時に個人が何を大事にするかでもあるとされていることです。ここで、私の哲学について詳細を説明することは控えさせていただきますが(笑)、ちょっと自分が仕事で関わった人や学校の友人の顔をいくつか浮かべてみただけで、「きっとあの人は私とは世の中に対する見方も大事にする価値観も違うんだろうなあ」ということが浮かんできます。哲学がまったく異なる人同志が近くにいすぎるとあまり幸せなことにならないような気がしますし、逆に親しくなる人はある程度パーソナル・フィロソフィーを共有しているような気がします。

授業では、哲学は「組織」が変わる上でもキーになるという文脈で話が展開していきました。会社や学校、あるいは国という単位で、私たちはそれぞれどのような哲学のもとに日々を過ごしているでしょうか。組織の哲学は、あなたの個人の哲学と合っているでしょうか。合っていないのであれば、どうしますか。あなたの哲学を変えるか、組織の哲学を変えようとするか、組織の外に飛び出すか。組織が変わらなければならない時に、何を変えなければいけないか、を考える上でも、参考になる考え方だと思います。

個人の哲学はいつ形成されるか

ここでもうひとつ考えたのは、個人の哲学はいつ形成されるかということです。思い返してみると、私の哲学はその8割は大学の卒業時点までには出来上がっていたと思います。まだ社会に出ていないのでぼんやりしていましたが原型は大学卒業時にはすでにあり、それがいろいろな経験を踏まえて形になっていったというイメージでしょうか。6割ぐらいは、大学入学時点ですでに出来ていたのかもしれません。きっと、人のコアの部分は子供の頃からそんなに変わらないのでしょうね。留学に来て、価値観が広がったとは思うのですが、それもぼんやりとすでにあった自分の哲学が留学という経験を経て形になっただけで、究極的には私の哲学は留学を経ても変わっていないのかもしれません。

関連して、大学の役割とは何なのだろうということを時おり考えるのですが、個人の哲学を熟成させること、言い換えれば人格的成長を促すことが大学のひとつの大きな役割なのだろうなと最近思うようになりました。オンライン教育が大学をどのように変えるかという議論がアメリカでは特に2012年に盛んに行われましたが、少なくともオンライン教育が大学を消滅させることはないと思います。オンライン教育は、ハードスキルを育成するには優れていますが、人格的形成を促すのに用いるのは極めて難しいからです。