官僚に新卒で就職すべき人はどういう人か〜政府の役割

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Original: ThePlanetEris / Flickr

少し前に、東大の現役学生さんと話をさせてもらった時に、「(霞ヶ関の)役所で働くのと民間で働くのはどう違うか」という質問を受けました。その時は私なりの考えを伝えましたが、難しい質問で十分に答えきれなかったという思いがあるので、ここに簡単に私の考えをまとめてみたいと思います。

なお、この記事を丁寧に書いていったら(今のこのポストよりも)もの凄く長くなってしまい収拾がつかなくなったので、このポストではアウトラインのみを記載しています。このテーマに関心のある方は、私も考えを深めて勉強したいので是非ご連絡下さい。

国と国はシステムの競争をしている

私は、国とはひとつの競争の枠組みで、国と国は「適者生存」の原則のもとでシステム間競争をしており、軍事と経済が競争の軸と考えています。軍事と経済は鶏と卵の関係にありますが(厳密には軍事が先)、現代においては主に経済が主な競争のフィールドになっています。

システムには経済的な優劣がある

国というシステムが何で成り立っているか。考え方はいろいろありますが、私は特に文化とフォーマルな仕組みでシステムは成り立っていると考えています。ここで重要な点は、経済的には文化にも仕組みにも優劣がつけられるということです。私は人それぞれに多様な価値観があって良いと考え方の人間ですが、経済的には文化にも冷酷に優劣があると考えます。

少し極端な例をあげると、古代メキシコには「生贄に捧げられる」ことを喜びとする文明があり、高貴な人も喜んで生贄に捧げられていました。文化的にはこれは死生観の問題であり、このような考え方もあっても良いかもしれませんが、経済的にはこの文化は明らかに劣位です。なぜなら、優れた位の高い人たちが、喜んで生贄に捧げられて死んでいったら、国を支える優秀な人材がいなくなってしまいます。

経済的に優位な仕組みのカギは経済的な自由とインセンティブ

経済発展のカギはイノベーションと効率化の追求です。そして、人間はインセンティブの影響を強く受けるので、経済的な自由と「個人と社会のインセンティブを揃えること」が、システムが経済的に優位となる上でポイントだと考えます。

経済的な自由の重要性は、織田信長楽市楽座から社会主義の失敗まで、多くの事例をこの原則で説明できると思います。

「個人と社会のインセンティブを揃えること」とは、言い換えると「個人が個人の幸せのために努力と工夫を積み重ねることが社会の利益と一致するようにすること」です。特に、経済的な利益の追求を重視すると、人の行動の結果が判明するにはタイムラグが生じることがある、社会には情報の非対称性が存在する、という二点において、個人が利益を追求することが中長期的な社会の利益と一致しないことがあります。経済的な自由は重要ですが、この時間軸と情報の歪みを補正するために、個人と社会のインセンティブを揃える「ルール」を設けることは重要になります。

政府の仕事は4つ!

さて、ここでやっと本題に入りますが、私が考える政府の大事な仕事は以下の4つですここで言う政府には、立法府も行政府も含まれます。

1)フォーマルな制度を作る
2)国民のお金を再配分する
3)公共財を提供する
4)国家間競争を勝ち抜く(他国との交渉など)

フォーマルな制度とは、法律や規制をイメージして下さい。お金の再分配は、税金や所得移転だけでなく、規制による権益のコントロールも含まれます。公共財は、公教育、警察や軍備などの提供です。国家間競争は、主に外交や軍事ですが、規制のコントロールや公共財の提供の範囲が国家間の競争に影響を与えることも多くあります。

政府の仕事と経済の自由・社会のインセンティブの関係

上記のとおり、私は経済的な自由と「個人と社会のインセンティブを揃えること」が経済発展の上で重要だと考えていますが、上記4つの仕事はいずれも経済的な自由と個人と社会のインセンティブを「国としてどのように設計するか」に深く結びついています。フォーマルな制度が経済的な自由と社会のインセンティブにどのように結びつくかはイメージしやすいと思いますが、お金の再配分や公共財の提供も、広い意味で言えばインセンティブの設計と言えます。例えば、相続税の設計がどのように家計の資金の動きに影響するか、タクシー業界の規制(これはマーケットの配分を規制によって動かしているので広い意味で言えば既存のタクシー業界にお金を配分するルール)が既存のタクシー会社や新しい配車サービスの動きにどのような影響を与えるか、公教育の存在が子どもの生活にどのような影響を与えるか、これらはいずれもお金の再配分や公共財の提供が人々のインセンティブを動かしている事例です。

政府の仕事は出来る限り少なくなるべき

政府は一般的に規制を増やして社会をコントロールしようとします。これは、私たちが「予見性」を求めるというバイアスを持っているがゆえでもありますし、政府という主体もひとつの組織なので組織として「拡大したい」というインセンティブを持っています。

しかし、経済的に強いシステムを構築するため、経済的な自由を追求するためには、政府による規制は出来る限り少なくなるべきです。一方で、何でも自由にすればインセンティブの面で多くの失敗が生じるので、社会のインセンティブを揃えるために賢く最低限のルールは必要です。「必要なルールは設定するが、出来る限り仕事は少ない方が良い」。これが、私がイメージする政府の仕事の理想です。

政府の仕事の中で国家間競争だけは異質

政府の仕事は出来るだけ少ない方が良いのですが、国家間競争についてだけは異なる側面があります。国家間競争は仕組みの設計と異なる特殊な側面を持っています。国家間競争は、日常生活やビジネスの常識が通じない、基本的に無秩序で一般人から見ると非常に特殊な世界です。上記のように、国の中では国は個人の努力の方向性を黒子として「調整」し奉仕する存在であるべきと私は考えますが、国家間競争の世界では、国が主体的に他国と渡り合う必要があります。これは、「世界政府」が存在しない以上、どうしようもない現実です。

政府の仕事をまとめると

政府に求められる仕事をまとめると、政府には、1)フォーマルな制度を作る、2)国民のお金を再配分する、3)公共財を提供する、4)国家間競争を勝ち抜く(他国との交渉など)という、4つの仕事がありました。いずれも経済的な自由と社会のインセンティブの設計に関わるもので、政府の仕事はできるだけ少ない方が良いです。ただし、国家間競争に関する機能だけは、競争に必要な機能をしっかりと持つ必要があります。

政治家と官僚

では、これらのエリアに携わりたい人が霞ヶ関で働くのが良いか、と言えば、少し違います。政府の中には政治と官僚があり、これらは役割が異なるからです。

日本では官僚の役割は伝統的に大きいですが、政治が高度な意思決定を行い、官僚はそのプロセスをサポートするのが本来の役割分担です。

国家間競争を戦いたい人、公共財提供のプロフェッショナルになりたい人は官僚を目指すべき

私がイメージする、官僚になるべき人は、国家間競争の世界で生きていきたい人です。国家間競争は上記のように特殊な世界で、特に外交官は特殊な「国家間の競争のルール」を深く理解することが求められるので、経験が重要だと思っています。また、これは民間では絶対にできない仕事なので、この仕事に深く魅せられているのであれば官僚を目指すのが良いと思います。

また、公共財の提供において「テクニカルなサービス提供のプロフェッショナル」を目指したいのであれば、それも官僚を目指す強い動機になると思います。公共財の提供が最もわかりやすく、例えば災害対応に強い使命を持って消防に携わるとか、ですね。

制度とお金の配分の設計を自分の意思で行いたい人は官僚を目指すべきでない

一方で、制度の作成とお金の配分になると、多くの「意欲的な」学生さんが持つイメージと私の考えは異なってきます。よく、「こういう問題を解決したい」ので官僚を目指す、という話を聞くのですが、経済的自由と社会のインセンティブの設計に強い意思を持って取り組みたいのであれば、それは政治家を目指すべきです。大きな意思決定を行うのはあくまで政治であり、官僚の役割はそれをサポートすることに限られます。小さな政府を目指していても、大きな政府を目指していても、政府の役割を変えて行きたいならそれは官僚ではなく政治を目指すのが筋です。

また、「そうは言っても、ある問題を解決するために経験を積むには官僚が一番良い」という方もいると思います。確かに、官僚は大きな仕事に早くから携われます。しかし、私はこの意見には反対です。経済的自由と社会のインセンティブの設計、これらをバランス感覚を持って行うためには、リアルな経済の動き、ビジネスの動き、そこで働く人々の考え、これらを肌身で理解することが不可欠です。率直に言って官僚としてキャリアをはじめてその世界でずっと生きている人が、これらの感覚を持つことはかなり難しいと思います。最近、30歳前後の何人かの経済官僚の方とお話する機会がありましたが、やはりビジネスの世界で生きてきた人とは感覚が少し違う、というのが正直なところです。お金に対する感覚が薄いと思います。

さらに、人間は自分と自分が所属する組織の権限を増やしたいと思う生き物です。私の考える、経済的な自由が出来る限り実現する社会とは、官僚の仕事が出来る限り削減される社会で、このような発想や行動様式を役所で「心の底から」持つことは非常に難しいと思います。ここは、社会に対する見方が強く反映される箇所です。しかし、歴史を振り返れば、経済的な自由が経済の強さにつながることは明らかだと思います。

制度やお金の配分に関心を持ち、かつ官僚になるのが良い人、それはテクニカルな法律論に強い興味を持つ方や、統計や制度論の分析理解に関心を持つ、学術肌の強い人だと私は考えます。もう少し「お金」の臭いがする(あるいは、本来お金の臭いがするべき)政策立案、また「難しいインセンティブ設計が求められる」仕事は、優秀な民間から人材を登用して、学術的なスタッフと一緒に取り組むのが最も効率的だと思います。

成長戦略を毎年書いても経済は成長しません。もうやるべきことはわかっているのだから、あとはしかるべき規制の緩和とリソースの再配分を行うべきで、それは官僚ではなく政治の仕事です。経済を成長させるのは、ビジネスです。優秀な官僚の方は、もちろんこの点をわかっていらっしゃるのですが。。。

全く別のキャリア論として

最後に、全く視点が変わりますが、政治家を目指すのに官僚を経るのはキャリアステップとしては(良い悪いは別として)近道だと思います。ですので、そのような発想で官僚を目指すのは現実的にはアリだと思いますが、これまでの議論とは趣旨が少し違うので最後にちょろっと触れる程度にしておきます。

まとめると

まとめると、官僚を目指すのが良い人は、以下のいずれかに当てはまる人です。
1)国家間競争に直接携わりたい
2)ある公共財を提供するプロフェッショナルになりたい
3)制度やお金の再配分の設計について、法律論、制度論や統計からテクニカルに分析理解を究めたい
4)(政治家になりたい人がキャリアステップとして)

何かの「社会的な」問題を解決するという高い志を持って官僚を目指したい方、もしも経済の自由と社会のインセンティブのバランス良い設計が重要という私の考えに同意してもらえるなら、まずはビジネスの世界でお金とバランスの感覚を持つのが良いと思います。まして、これから何十年かは制度ではなく技術とビジネスのイノベーションが社会を変える大きなきっかけになる(はずの)時代なのですから。

もしもあなたが「疑似」社会主義を実現するためにもの凄く大きな政府を指向する人なのなら(実際に、とにかく道路を作るのが大好きという考えの人が学生時代の知人にいました)、私は申し上げたいです。あなたの見方は間違っていますよ、あなたのやることは長い目で見たら日本のためになりませんよ、と。

出来る限りスパッと議論を整理するように心がけて書いてみたけれど、、

現実には、ビジネスと最もつながりの深い経済政策に携わる場合も、その政策をスタッフとしてリードする人が必ず民間の経験があるのがベストで官僚叩き上げの人ではダメかというと、必ずしもそう言い切れないケースもあります。パッと思いつくのは、エネルギー政策でしょうか。エネルギーはビジネスでもありますが、「エネルギー安全保障」という言葉もあるようにお金だけでは測りきれない国家間競争や軍事の側面もあり、また原子力の問題に代表されるように社会のあり方に大きく影響を与える側面もあります。このような「非常に広い視点」が求められる仕事のトップは、民間叩き上げの人よりも社会のすべてのステークホルダーにくまなく目が行く(訓練をされている)叩き上げの官僚の方が良いかもしれません。しかし、このような政策エリアは、感覚的にはそれほど多くないと思います。

幸せと経済の関係

このポストでは経済についてばかり書いたので、最後に幸せと経済がどのような関係にあるのかについて簡単に触れさせてください。幸せを感じるためには経済の裏付けがある程度必要(誰も食料に不自由はしたくない)ですが、経済の裏付けがどの程度欲しいかは、幸せの捉え方によって異なります。日本は非常に豊かな国で、人々が望む幸せの物質的なスタンダードも世界的に見れば非常に高いものです。経済発展より精神的な豊かさを、という議論もあり、方向性としては理解できますが、日本に住む人が求める幸せの前提となる経済水準は非常に高いもので、多少その要求水準を落としたとしても経済的な優位を維持するためのシステムとしての努力は依然としてかなり必要だと私は考えています。

また経済の話になってしまった。まあ、今回はそういうエントリーということで。