日本とアメリカのキャリアに対する考え方の違いを考える:半沢直樹は面白いが共感はできない

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半沢直樹の世界は欧米のキャリア観では理解が難しい

すでに時機を逃していますが、昨シーズンに日本で大ヒットしたドラマ「半沢直樹」。私も視聴しましたが、半沢直樹が銀行内外の悪い人々をギャフンと言わせていく様子は大変興味深いものでした。私の場合は、半沢に感情移入するというよりは、「こういう状況あるある」「これはいくらなんでも作りすぎでしょ」とツッコミながら楽しませていただきました。あと、香川照之は本当に芸達者だなと改めて感心したり。

ところで、このドラマを見て浮かんだ疑問のひとつは「このドラマは外資系で働く人にはどう見えるのかな?」ということです。そこで、外資系に勤務経験のある方にドラマで描かれた銀行の世界がどう見えるか聞いてみたところ、「正直、よくわかりません」とのご感想。そうですよね、日本の大企業を知る私ですら、見ながら「半沢、銀行辞めて転職するか起業すればいいのに」と何回も思いました(笑)。外資系の考え方は欧米のキャリア社会の考え方ですから、欧米の人々には半沢直樹の銀行の世界はどうも理解できないという話になりそうです。では、日本とアメリカでは雇用に対する考え方がどのように違うのでしょうか。これは、私が興味を持って様々な方にご意見を伺ってきたテーマのひとつです。この機会に、私の理解をまとめてみたいと思います。

アメリカでは新卒でもポジションに人が充当される

まずは、アメリカの就職事情から。アメリカでは、大学時代に身につけたスキルや経験をアピールし、就職活動を行います。例えば、大学時代に統計を専攻し、3年生になる前と4年生になる前のインターンではマーケティングのインターンをしたので、就職活動でもこれらの経験をアピールし定量分析が求められるマーケティングの職を探す、という具合です。企業の側にも新卒採用という概念はなく、一部の「リーダーシッププログラム(複数のジョブをローテーションして適正を見出す機会がある幹部候補のような位置づけ)」を除いて、ポジションが空いたらそこを埋めるという発想はないので、新卒で就職する時から企業は社員に即戦力としての働きを期待します。もちろん採用時から入社後のポジション(職種)は決まっており、その後はスペシャリストとして同じ職種でキャリアアップを図ることが多いです。

転職時はポジションと経験/スキルのマッチングが重視され、職種/業種の変更は難易度が高い

転職の時も同様で、空いたポジションを経験とスキルのある候補者で埋めるのが基本です。(MBAに来るような若い人に限って)アメリカで就労経験のある人に聞いた話を総合すると、転職において職種/業種を変更するのはとても大変と言います。例えば、「自分は財務をやってきたけれど、もっと顧客に近いところでマーケティングをやっぱりやってみたい」と思っても、そのチェンジはかなり難しいし、「自動車メーカーから金融機関に!」というのもやっぱり難しい。もちろん、トライしてできないことはありませんが、特に職種を変更する難易度は相当に高いようで、職種を変えたいなら仕事で成果を出して同じ会社の中で掛け合ってみるのが確度は一番高いとか。でも、それでもかなり大変なようです。

自分のキャリアを決める大事な「職種」、インターンで職種のマッチングは図られている?

でも、アメリカだと大学時代からインターンで自分の仕事に対する適正を見極めて仕事に就くのだから、日本に比べると求職者と仕事のマッチングは図られているのではないか?私は、こちらでいろいろ聞いてみる前はそう思っていました。でも、現実はそうでもないようです。私の同級生曰く。。「みんな、仕事を変えるためにMBAに来るんだよ。MBAに来るのが、前よりも良い条件で違う仕事ができる数少ないチャンスなんだ。お前だって知ってるだろう。みんな、MBA前の仕事に文句ばっかり言ってるよ」これが、アメリカの現実です。

(ただし、そうは言ってもインターンを経させる米国のやり方は新卒一発勝負の日本よりはジョブマッチングに貢献していると思います。また、インターンや希望する仕事に関連するクラブ活動に積極的に従事することが、その仕事に本当に興味がありますよというシグナリングになり、シグナリングがなければ企業は採用しないので、アメリカでは「とにかくエントリーシートをコピーして応募する」ということは起こりにくくなっています。そもそも、リクナビのような仕組みがアメリカにはありません)

日本の新卒採用は今でも就社の発想が強い

さて、日本の場合はどうでしょうか(ここでは、技術者ではなくビジネス職を取り上げます)。日本の場合は、新卒一括で限られた期間に一斉に就職活動を行います(既卒でも未就業ならば新卒と同じくくりで選考するという会社も出て来ていますが、実態はまだ新卒一括採用に近いと思われます)。日本の採用はポテンシャル採用なので、学生時代に仕事に関係するインターンや学業に取り組んだかはビジネス職ではあまり問われません。むしろ、企業に入った後にうまくやっていけるか、基本的な地頭、性格、カルチャーフィット、そして会社への熱意(辞められないように)が見られると思います。入社後の職種は選べないことが多く、入社後も辞令ひとつで様々な職種や地域(国)を転々としてジェネラリストとして働いていきます。よく言われる「就社」という言葉が、日本はまさにピッタリです。

日本でも中途採用はアメリカの発想に近くなるが、就社で育つのはジェネラリストが主流でミスマッチを起こしている

ところが、転職時には事情はアメリカに近くなります。中途採用は即戦力が求められるので、企業は募集のポジションに対してマッチした経験とスキルを持つ人を当然求めます。第二新卒までであればポテンシャルも見てもらえますが、20代の後半からはそんな甘いことは許されず、よく言われるように35歳を過ぎたらスペシャリストか「責任をとって判断ができる」管理職として実績を上げていなければ良い転職は困難です。

さて、就社によるジェネラリストの育成の結果、「自分は課長/部長ができます(しかも、大きな判断は自分ではなく上の人間がします)」というジェネラリストが量産され、企業のビジネス領域が変わった(あるいは企業が潰れた)結果それらのジェネラリストが行き場を失い、「追い出し部屋」がメディアで取り上げられるようになっています。就社は新卒で就職した会社が定年退職まで責任を持ってくれないと成り立ちませんが、会社の旬の期間は18年と言われるいまの時代、会社はそのような責任を持ってくれません。5年先のことは誰にもわからないので、誰もそのような責任を負えないという方が正確です。

私は日本型の雇用よりもアメリカ型の雇用の方がフェアだと思うが、アメリカ型の雇用がバラ色なわけでは決してない

さて、話をまとめるとアメリカは新卒就職時からポストとスキル/経験のマッチング重視、日本は新卒就職時はポテンシャル採用だが中途採用はアメリカと同じくポストとスキル/経験のマッチング重視、と言えそうです。

ちなみに、それぞれのキャリア体系において会社はどのように社員に対してガバナンスを効かせているのでしょうか。若い社員について、私の理解では、アメリカはそのポジションで身に付くスキルや経験、金銭的な見返り、そして将来のキャリアパスで報います。日本の場合は、そうですね、、半沢直樹にならえば「将来のポスト」をにんじんとしてぶら下げて、今の仕事を頑張らせるイメージでしょうか。このように書くとアメリカと日本で事情は似ているように感じられるかもしれませんが、就職を決める時点でポストが決まって入社するアメリカと、入社時点ではどこに配属されるかわからず入社後に辞令を受ける日本とでは、同じ「将来のキャリアパス」で報われるといっても意味合いが大きく違います。アメリカの場合はキャリアパスのどの入り口に立つかをある程度自分の努力でコントロールできますが、日本の場合はコントロールできない方が多数です(しかも、昔の商社のように配属先の部門で色がついてしまって行けると思った先には行けなかったり)。

さらに、就職活動そのものについて考えてみるとどうでしょう。アメリカでは、大学に入学した後のインターン、GPA、キャリア関連のクラブ活動などが就職活動において評価の対象になります。言ってみれば、アメリカでは大学入学後の本人の「努力」がある程度就職に反映される仕組みになっていると言えます。逆に、日本の場合はポテンシャル採用であるからこそ、大学での努力はあまり関係ないので、学歴と人物がとても重視されることになります。つまり、日本は大学入学後の努力が就職に反映されにくい仕組みと言えます。

アメリカと日本、どちらがよりフェアな就職事情でしょうか。私は、アメリカの方がフェアだと思います。理由は、アメリカでは大学での努力が就職に反映される余地があり、また就職後のキャリアを就職時点で努力によりある程度求職者がコントロールすることが可能だからです。日本の就職事情を極端に表現すれば、まだ世の中のことをよく知る機会の少ない高校生が受ける大学入試が就職に大きく影響し、かつ就職後のキャリアにも自分の意思を直接反映するのはかなり難しい仕組みになっていると言えます。もちろん、アメリカの大学や企業社会がバラ色で理想的ということはありません。アメリカは日本以上に人脈と学歴がモノを言う社会であり、一定以上の大学に入らなければ努力をして自分の希望するキャリアを手に入れようという選択肢は得られません。さらに、人事よりも現場の上司の力が強いアメリカの会社では「上司にゴマをすると昇進しやすい」という話は至って普通で、ネットワークという競争は日本よりも余程熾烈です(余談ですが、英語はストレートな表現なのでアメリカ人は率直に意見を言い合う、という話は私の知る限りウソです。確かに、静かにしているよりは発言して自己アピールすることが大事という価値観があるのは確かです。しかし、特に企業社会においては、アメリカ人は「立場」を重んじとても迂遠な意見表面します。フラットな立場であればかなり率直にズバズバ意見を戦わせるのは確かですが、それは日本も同じでしょう)。しかしトータルで見た場合、アメリカのシステムの方が求職者や社員の立場から見るとまだ努力が反映されやすいフェアな仕組みになっているように私には思えます。

雇用システムは、コミュニティ、企業、社会に対する考え方なども複雑に絡み合うため、単純にコピーできるものではなく、システムに最適解があるわけではありません。ただし、変化のスピードが早い今日において、アメリカ型の流動的な雇用システムが一定のアドバンテージを有していることは明確だと思われます。

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