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「何か、ピンと来ないんだよな~」

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Original: Flickr/Pascal

私は会社で今、所属部署のプロジェクトについて若手メンバーの人繰りを決める立場にあります。先日も、同僚とどのプロジェクトに誰を配置するかといったことを検討していたのですが、その時にふっと自分から出た一言が、「何か、ピンと来ないんだよな~」でした。そして自分で言った後にハッと気づいたのですが、これとまったく同じことを自分の昔の上司がよくブツブツとつぶやいていました。

で、「何か、ピンと来ない」というのはどういうことかというと、今、目の前に広げている人の配置表で、それぞれのプロジェクトなりがうまくまわる+メンバーが仕事に満足できることがイメージできないということだったようです。この一言をつぶやいた時、「プロジェクトがうまくまわる条件」として、自分は無意識に次のようなことを考えていたようでした。

各プロジェクトがスキルセットとして円滑にまわる必要がある

当たり前ですが、ひとつひとつのプロジェクトは重要な仕事なので円滑にまわらなければなりません。したがって、チーム全体としてスキルレベルが必要条件を満たすように人を配する必要があります(熟練のリーダーの下には経験の浅いスタッフがいてもよいが、逆に経験の浅いリーダーの下にはそれをサポートできるスキルレベルの高いスタッフがいる方が無難、など)。また、案件によってどのようなスキルセットがプロジェクトで求められるかも違ったりするので、そういった点も配慮します。

各プロジェクトが相性としても円滑にまわる必要がある

またこれも重要なのですが、人には相性があります。それは主に性格や仕事の進め方の違いに起因するものですが、同じ仕事のできるAさん、Bさん、Cさんがいても、AさんとBさんが一緒に仕事をすると円滑にまわるが、AさんとCさんは一緒に仕事をするとよくケンカする、といったことは現実にあるわけです。したがって、相性も考える必要があります。また、顧客にもタイプがあるので、顧客との相性も大事になります。

若手メンバーの成長が促されることも重要

組織としてレベルアップするには若手メンバーの成長が欠かせず、それも人の配置を考える際に重要です。いろいろなリーダーとともに若手が仕事をする機会を用意する、ある課題を克服するのに適した仕事やリーダーのもとにその人をアサインする、といったことです。

これらをすべて言葉にするのは難しいので、感覚的な判断も重要になる気がする

「何か、ピンと来ないんだよな~」というセリフは、この3つの要素が全部かみ合った状態にどうも目の前の人繰り表がなっていないようだ、という感覚から漏れた一言でした。しかし、スキルセットや相性といったものをすべて言葉にするのはかなり難しいし、配置のパターンは無限にあるのでそれをすべて検証するようなことももちろんできません。したがってここから先は、「何がピンと来ないんだっけ?」というのを一つ一つ言葉にして、それを解決するように目の前の図面を書き換えていき、関係者の意見もポイントポイントで聞きながら、最後は「ん~、なんだかこれで良い気がする!」と思えたところで決定します(実際には、案を私が作って上司の承認を得ます)。

たぶん、私の前の上司が「ピンと来ない」とつぶやいていたのも、同じようなことを考えていたのではないかと想像します。その上司は人を育てるのが上手で、「こんなふうに人を投入しちゃう?」と現場で思うこともありましたが、終わってみるとプロジェクトはうまくいき人も育っている、そんなことを実現する人でした。きっと上司の目には、部下のクセやレベルが見えており、部下をどう組み合わせて化学反応を起こすか見ていたのでしょう。その人と同じ水準で物事と人が見えているとは全く思えませんが、そのような上司を横で長く見ていると似たような発想にはなるのかもしれません。

なお、私の場合はプロジェクトとリーダーは所与として若手メンバーの配置を考える立場にあるので上記のようなことを考えますが、そもそも顧客からどのように仕事をいただくかというひとつ上のレベルで考えれば、同様に顧客との関係や相性を考えながら営業的な視点も交えてリーダーを配するでしょう。しかし、相性の判断というのは客観的に答えが出るものではありませんし、何を重視して人を配するか(たとえば、これまでの顧客との関係の深さを重視するか、何か新しい取り組みを新しい人ですることを重視するか)も、おおいにセンスによるところが大きいと言えます。私は人事の経験はないので何ともいえませんが、世の中には人事のうまい人とうまくない人がいるそうです。人事がうまい人というのは、人を見る目と化学反応のイマジネーションにセンスがある人なのかもしれません。

仕事ができるようになるとはどういうことか(その2)

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Original: Camera Eye Photography / Flickr

以前、「仕事ができるようになるとはどういうことか」というエントリーを書きました。その時は、仕事を「要素」で区切って考えてみましたが、今回はもう少し「時系列的に」仕事ができるようになる段階を整理してみたいと思います。これを書いてみようと思ったきっかけは、新しい職場に自分もなじみながら、一方でより若い人の育成にも気を配る中で、改めて仕事ができるようになるとはどういうことなんだろうと考えたところによります。

仕事で飛び交う言葉が理解できるようになる

まず、新しい職場では飛び交っている言葉の意味が理解できないことが多くあります。それは、業界の言葉かもしれないし、その職場に独特の言葉かもしれません。まずは言葉の意味を理解できるようになるところから仕事はスタートするのかなと思います。

単純な指示された仕事をこなせるようになる

言葉の理解と並行して取り組むのが、まずは指示された内容を完了できるようになることでしょうか。「これをこうやってこういうものを用意して」と指示されても、はじめはうまくできないもの。だんだんとできてくると喜びも大きいですね。

指示された場合に、指示された内容以外の工夫もしてクオリティ高くアウトプットできるようになる

そんなこんなで指示された内容に取り組みながら、だんだんとそれぞれのタスクのコツがわかってきます。また、Aをやってくれと言われた場合に、それに付随してBとCもやるといったことがわかってくると、指示する方も手間が減って仕事を頼みやすくなってきます。工夫をしてアウトプットの質を常に高く保つことも重要。

タスクや言葉の裏にある目的を徐々に理解して工夫できるようになる

このようなプロセスを経てだんだんと「言われたことを工夫してしっかりできる人」になるわけですが、次はある仕事や言葉(自分の上司であったり顧客であったり)の裏にある「目的」をどれだけ理解するというフェーズに入るのかなと思います。ある言葉の裏には目的があり、話している本人も目的をすべて言葉にできていないことが多々あります。そういった目的を汲んで(あるいはしっかりと確認してくれて)、頼んだこと以上のアウトプットをしてくれるととてもありがたいもの。

また、この段階まで来ると「仕事をやりきること」も重要です。最後までやりきらない人は、必ずどこかで仕事の成長が頭打ちになります。逆に、面倒なことや難しいことを最後まで責任を持ってやりきると、力も付きますし、本人の評価も上がります。

まわりの人の行動の裏の複雑な背景や目的を理解して打ち手を打てるように

さらに高みになると、自分のまわりの人の行動の裏にある背景や目的を自分なりに解釈できるようになります。それらを自分なりに理解した上で、打ち手を仕掛けられるようになればかなりの高レベル。さらに、目標を定めて、会社、あるいは業界単位で仕掛けをできるようになると、その道のプロとして広く認知されるようになります。

はじめは「言われたことをやる人」ですが、だんだんと「仕事を自走して片づけられる人」になり、さらに「自ら問題を発見して解決していける人」まで行くと、ひとつの仕事のキャリアとしては頂上まで登ったことになります。それなりのレベルで自走できるようになるには、仕事にもよりますが1~3年かかるのではないかと思いますが、最後の自ら問題を発見し解決していける段階になるには、もっと長く、5年~10年ぐらいかかるのではないかというのが私の感覚です。その意味では、ここまで達するにはある仕事に継続してコミットすることも大事だと感じる今日この頃です。

香港とシンガポールで考えた移民とか子育てとか

今月、香港とシンガポールに出張があり、どちらでも空いた時間に友人に会う機会にめぐまれました。今回は、ブログのテーマから少し離れて、友人に聞いた話を書き綴ってみたいと思います。

中国本土消費の香港経済への影響


九龍の南に中国本土と直通のフェリー乗り場がある

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香港島から地下鉄で九龍に渡ると、フェリー乗り場があります。友人が案内してくれたのは、フェリー乗り場の近くのショッピングエリア(すいません、名前は忘れてしまいました)。

写真は、世界でパリ本店に次いで二番目に大きなルイヴィトンですが、どこもかしこも中国本土からの買い物客であふれています。このルイヴィトンがある通りにはその他にもブランドショップがズラリ。近くにある大きなショッピングモール(デパート?)の中も、大きなスーツケースを抱えた中国本土の買い物客で溢れています。その消費パワーたるわ、半端ではありません。

友人の解説によると、この場所は中国本土から直通のフェリー乗り場が発着する場所で、香港に買い物のためだけに訪れる中国本土の買い物客であふれているのだそうです。また、ここにショップを出すことは中国本土へのブランドアピールとして広告効果が高く、賃料が非常に高いにも関わらず採算度外視で出店するショップも多いのだとか。確かに、そのような地区があって、最近中国本土からの消費が少し減って賃料が下落傾向にあるという記事を新聞で読んだことがあるような気がします。

多くの買い物客を見ながら感じることは、香港経済はこの本土の経済力に依るところが時とともに大きくなっているのだろうなあということ、そしてやはり中国の消費力は凄いという(当たり前の)ことです。銀座での中国人観光客の購買力も半端ではありませんが、中国と地続きの分、香港は凄いです。

友人によると一方で、中国の買い物客を目当てに続々と立ち上がるブランドショップと、その賃料高騰で耐えられなくなって昔からのお店が出て行ってしまうことについて、古きよき香港を知る昔からの香港市民からは反発の声も多く上がっているといいます。

移民を通じて進む香港の中国本土化

香港では、先日まで香港政府が提示した民主化案に対する学生の抗議運動が大きな報道となりました。香港では、この学生たちの運動を支持する声も多くある一方で、彼らを商売の邪魔とみて反対する声もそれ相応にあったといいます。

友人によると、いま香港市民の2割〜3割は中国本土からの居住者もしくはその2世などにあたるそうです。彼らはイギリス統治時代に生まれ育った香港市民とは感覚が違うので、どうしても意見の違いが出ることが多くなるようです。

現代は民主主義が「善」とされる世界で、「一人一票」の平等原則を覆した国造りを先進国で行うことは(隕石が地球に衝突して世界の終わりが来るとか人間を凌駕する人工知能を人間が制御できずに機械に支配される時代が来るとかがない限り)不可能だと思います。それであれば、国の姿は、国民が物事をどのように捉えるか、そしてそれぞれの捉え方をする国民の「数」で決まると考えます。1997年の返還からすでに18年が経過し、人口構成が変化している香港が、これからさらに変わっていくことは避けられないように思います。

先日フランスではイスラム過激派によるテロ事件がありましたが、過去数十年において多くの先進国は人口減少の中で移民を受け入れるという選択をとりました。人口増加、さらに言えば単純労働に従事する単価の安い移民の増加は、短期的には移民が従事する業種の価格を下落させるとともに移民により消費が増加するため経済にとって明白なプラスとなります。しかし、そのような移民が既存の社会に融合することは既存社会が相当な努力を重ねなければ難しく、移住先が「母国」となる移民の二世・三世が格差が維持されながら増加するに至って大きな社会不安の原因となり、また経済的にもベネフィットよりもコストの方が目につくようになってくる、さらに移民社会と既存社会で考え方が異なれば異なるほど国全体として国の進み方に合意がとりにくくなってくる、このようなことが一部の国では時間をかけて生じていると思います。移民政策を長期的にワークさせるためには、受け入れる側にも相応の覚悟と準備が必要なようです。時間をかけて人とともに社会と国は変化するということを、香港のテレビでフランスのテロ事件のニュースを見ながら、ぼんやりと考えていました。

シンガポールはすべてが政策により作られたスーパー都市

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さて、話変わってシンガポールシンガポールを訪れるのは初めてでしたが、シンガポールは凄いですね。空港から中心市街までハイウェイで移動しましたが、豪華さで有名なチャンギ国際空港にはじまり、ピカピカの高層アパートメントが立ち並び、美しい公園や巨大な植物園など、どこもビックリするほど人工的で美しい景色です。友人に尋ねたところ、空港から中心街までの「中心街の東側」の地区だけでなく、シンガポールはどこに行ってもそのようなピカピカのビルが並んでいるということ。すごい国です。

写真は有名な屋上にプールのあるビルですが、シンガポールの凄いところは次から次へと訪れてみたいと思わせるモノを人工的に作り出すところにあります。ちなみに、ビルの左下にある白い物体はお釈迦様の手がモチーフにされているそうで、「カジノを作ってその隣にエクスキューズでブッダの手を配置するなんてなかなかのアイデアだろ?」とはシンガポール人の友人の皮肉。

シンガポール東南アジアのハブ都市として発展していますが、確かに衣食住すべて(お金さえあれば!)そのレベルは非常に高く、さらに税金が安いとなればグローバル企業がシンガポールに拠点を構えて東南アジア各地に出張で仕事をするというスタイルは非常に納得がいきます。この都市を作り出しているのはシンガポール政府なわけですが、しかしシンガポール国民の多くは政府が何から何まで口出しすることに嫌気も指しているとのこと。タクシードライバー曰く「だって、政府が許可して作られたこのビル、車寄せ以外にタクシーを停めると罰金をとられるのに車寄せがないんだよ、おかしいでしょう」「なんでも規制されるのは嫌だという人は増えているし、今の首相は人気がないから、次の選挙では野党がはじめて政権をとるかもしれないよ」。ドライバーに、日本でも万年与党を降ろして野党に政権を任せてみたら大変だったのだよと説明したら笑っていました。

家政婦と子育てと移民と

友人夫婦と話していて最も興味深かったのが家政婦の話。その日は日曜日だったのですが、街のところどころで移民と思わしきアジア系の人たちが集まっています。みんな、ピクニックのようにシートを広げて思い思いにお弁当を食べたり歌をうたったりおしゃべりしたり(こういう景色は香港にもあるそうです)。で、友人の説明によると、「この人達は家政婦さんたち。彼女たちは住み込みで月500SGD(日本円5万円ぐらい)で働いてくれる。日曜日は休みだから、このように外で集まって休んでいるんだよ」と。なるほど、住み込みだから外に出ることが休みになるわけですね。

シンガポールではバリバリ働く家庭では夫婦共働きが当たり前ということで、共働きが可能なのはこのように昼間子供の面倒を見てくれる家政婦がいるからだそうです。ただ、このように至るところで食べ物を広げて集まる移民たちに対して「シンガポール的でない」といって反感を示す人たちもいるのだとか。「住み込みで安い労働力として働いてもらっているのだから休日は外に出て休むしかないのは仕方ないよね」と言ったら友人も同感とのこと。

でも、家政婦が家で子供の面倒を見てくれるから両親がどんな仕事でもできるかというとそうではないようです。友人奥さんはいまとても出張が多く帰りも遅い仕事に就いているのですが、「子供の食事は自分が作らないといけないので、子供ができたら毎日夜7時までに帰れる仕事でないと働き続けるのは難しい」。「家政婦がいないで日本では子供ができたら仕事はどうするんだ?」と聞かれたので、日本では共働きを続けると子供を持つと大変で、専業主婦も多いんだよ、親の支援があれば共働きもできるけど家政婦は一般的でない、と説明しました。すると説明してくれたのがシンガポールの住宅政策。「シンガポールでは住宅の8割以上を国が保有していて、シンガポール国民が住宅を購入する時は多額の補助金が出る。親の支援があったほうが子育てはしやすいから、親の家の近くに住宅を購入しようとすると政府から補助金が追加で出るんだよ」。どこまでも合理的なシンガポールの政策、恐れいります。ただこれには、「シンガポールは狭い(国土が東京23区程度)からその政策はワークするが、日本は広いし親が遠い地方に住んでいることも多いから、その政策は難しいかも」と返しましたが。

実は、同じような共働きと子供と家政婦の話は香港でも聞いていまして、男女ともに働く社会で子供を増やそうと思ったらその解決策にはそんなにバリエーションがないんだろうなと思いました。これはタイムリソースの話なので、あまり民族とか文化とか関係ないですよね。非常に普遍的な論理の話です。

以上、香港とシンガポールのよもやま話でした。いろいろな国と社会を知ることは勉強になり非常に楽しいものですね。お付き合いいただいた皆さん、ありがとう!

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香港でいただいたコーヒー・紅茶ミックス。またいただきたい、不思議な味でした!

人を育てる会社

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Original Giovana Milanezi / Flickr

今日の投稿はメモのようなもので、特に検証をしたわけでもなく自分の感想と直感だけで書いています。

会社は人がすべて

最近、「会社は人がすべて」というのは本当なんだなと心の底から感じるようになりました。自分が会社の中で中堅のポジションになり、以前に比べると広い視野で上も下も同世代も見られるようになったからかもしれません。

当たり前の話ではありますが、会社には様々な人がいます(特定の会社の話をしているわけではありません、念のため、以後同じ)。優秀だなあと自分が感じる人をざっくりと分けると、三通りあるような気がします。まず、仕事の処理能力や論理的思考力がズバ抜けて高い人。いやー、この人はよくここまで調べぬいて理解しきって解決策を考えぬくわ、という感じ。二番目は、すごくコミュニケーション力の高い人。この人は本当に不思議な話術と魅力を持っていて、お客さんとコミュニケーションをとるのもうまいし社内で人を巻き込むのもうまいというか。そして第三が、新機軸を打ち出す人。処理力が高い人が必ずしも新機軸を打ち出す人ではなく、新しいことにチャレンジしてそれを実現にまで持っていく、そういう発想の豊かさと行動力がある人です。

で、会社を引っ張っていくにはこの3種類の人が必要なんだと強く感じます。この中の2種類だけではダメなんです。3つとも必要なんです。3番目の人がもてはやされるイノベーションバンザイな現代ですが、1番目と2番目でも立派に食べていくことができます。さて、向上心の強いあなたはどのタイプを目指して生きていきましょうか?

リーディングカンパニーは人を育てる

もうひとつ最近感じている世の中の真実は、人を育てることが会社がオーガニックに成長するためには欠かせないということです。

私は先輩から「自分が楽になりたければ下を育てろ」と指導を受けてきました。これは要するに、増える仕事を自分でやっていたら、自分が仕事を2倍早くできるようになっても(現実には2倍になるのは至難ですが)仕事が3倍になったら1.5倍忙しくなるのでヒマになれない、増える仕事をさばこうと思ったら自分がやっている仕事を若い世代ができるように育てて若い世代にやってもらうしかない、ということです。

これ、当たり前だと思うんですが、結構できていない組織は多いのではないかと推測します。仕事が忙しい→自分で必死にさばく→新人に目を向けられず育てる余裕がない→ますます仕事が忙しい、というループはまさに負のループ。仕事が忙しい→新人をなんとか育てる→新人が戦力になって仕事がこなせるようになる→自分には少し時間ができて考える余裕が出てきて次の手を打てる、これが正のループ。成長する会社は、この正のループを実現できていると思います。

人を育てる会社は人を惹きつけ、人材輩出企業に

正のループが働いている会社は、人を育てるという評判ができ、優秀な人材が門をたたくようになります。すると、良い人材が集まってますます組織が大きくなるというさらなる正の循環に入ります。

しかし、人を育てて育てて、でも組織が人が育つスピードより遅くしか成長しない局面もあるだろうし、育った人が外に出ることを望むこともあるでしょう。すると、その会社からは優秀な人がポロポロと出て行くようになり、世の中からは人材輩出企業と呼ばれるようになります。

では、人材輩出企業は人を外に出して「しまった」と思っているか?おそらく、答えはNOで、本当に正の循環がまわりきっている企業は、優秀な人材を外に多少輩出してもまだ社内に多くの優秀な人材が残っており、ポストの数が足りないのでむしろ新陳代謝が進んで良かったぐらいに思っているのだと思います。

ここまで正の循環を回しきるには、その会社自体が成長する業界に位置する必要があると思われ、それが人材輩出企業が業界の栄枯盛衰とともに時代で異なる所以でしょう。しかし、各業界で数十年のスパンでトップの座を堅持する企業はあり、これらの企業は多かれ少なかれ正の循環を維持しているものと思います。

この話に、特にオチはありません。ブログだと、どうしても抽象的な概念論で書かねばならないのが面白みに欠けるところですねえ。。

なぜグループによって最適な組織や働き方が違うのか

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Original Everjean / Flickr

組織論には答えはないといいますが、なぜ答えがないのでしょうか。

まず、組織の基本的なキャラクターはその組織のビジネスモデルと創業者のキャラクターに大きく左右されると考えます。これは、以前のエントリーでも書いたとおりで、組織の文化は何が良しとされるかで決まり、それはどのように収益を上げるか=ビジネスモデルが何かと、はじめにどのような人が組織を作り上げたかにかなり依存します。さらに言えば、会社のステージによっても求められる組織やカルチャーは異なります。

では、同じルーツを持つある会社の中はみな同じような考え方や仕事の進め方かというとそんなことはなく、よく考えてみると仕事の内容としては同じようなことをしている隣あったふたつの部署のカルチャーや仕事の進め方が結構違うということはあったりするわけです。かつそのような場合に、隣の部署の仕事の進め方を自分たちの部署にそのまま当てはめるのが良いかというとどうもそうでもなかったりします。

これは言葉にしてみれば別になんともないことなのですが、同じような仕事をしている隣り合うふたつの部署のそれぞれにあった仕事の進め方が異なるのは、所属するメンバーが異なる、もっと言えば所属するメンバーのスキル・経験と性格が異なるからということに尽きると思うようになりました。

スキル・経験ということで言えば、熟達したトップが経験の浅い部下を治めている部署であれば、トップダウンでテキパキと指示をしていく方が部署としてはうまくまわるに違いありません。一方で、まだその部署の仕事に慣れていないトップを長く在籍する部下が支えるような場合は、細かな部分は部下が裁量を持って取り進めて重要なポイントをトップが部下に質問をしながら判断する方がうまくいくかもしれません。

もうひとつ、性格もその組織のあり方に大きな影響を与えると思います。例えば、細かく指示をするタイプのトップであれば、そのマネジメントスタイルの良し悪しは別として、出された指示を正確高速にこなせる部下(あるいはそういうことを苦にしない部下)がたくさんいる方が全体としては仕事はうまくまわるかもしれません。しかし、方向性だけを出して細かな点は現場に委譲するようなトップであれば、出された指示を高速にこなせるような部下がいても仕事はまったく進まず、むしろ方向感をどのように具体的な実務に落とし込んでいける(またはそういうことが好きな)人間が部下にいなければなりません。

部署のレベルで考えてもそうなのですから、会社が異なれば同じ業界でも異なる組織論やカルチャーが必要となることは大変自明なように思います。さらに言えば国単位で考えてもお国柄や国民性が存在するのは間違いないのですから、これまた隣の国でうまくいっている仕組みをそのまま形だけ輸入してもうまくいく可能性は極めて低いと思います。仕組みがうまくまわる背景には、その仕組みにフィットした「性格」の人々がいるのだと思います。ひっくりかえせば、構成メンバーの性格まである程度考える射程に入れなければ、メンバーにフィットした仕組みを作ることもできないと思います。

仕事ができるようになるとはどういうことか

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Original: Camera Eye Photography / Flickr

日本もすっかり寒くなってまいりましたがみなさまいかがお過ごしでしょうか。シカゴはすでに初雪が降ったそうで、それに比べれば東京は暖かいはずなのですが、家の中は東京の方がシカゴよりも寒く感じられます。東京の家はシカゴの家より壁や窓が薄いのかもしれません。

さて、日本に帰国して新しい職場で働くようになり数ヶ月が経ちましたが、久しぶりに「新しい職場で新しい仕事をする」という経験は、「仕事ができるようになるとはどういうことか」ということを考える良い機会になりました。少し抽象的には、以下のようにまとめられるのかなと思っています。

「仕事ができるようになるとは、(1)付加価値のあるアウトプットを(2)素早く正確に(3)出せるようになること」

当たり前のように感じられますが、なんとなく自分としては面白いことに気づいたなと思っています。

(2)素早く正確に
説明の便宜上、まずは「素早く正確に」から。これは、実務を学ぶということとニュアンスとしては近いのかなと思っています。

例えば、ある資料を作成する際に、その資料の参考となる以前の資料や情報が社内のどこにあるのか。ぱっと自分が過去に携わった仕事の知見からイメージがわけば話が早いですが、もしかしたら同僚が保存している共有フォルダの中にあるかもしれないし、同僚に相談したら出てくるかもしれないし、あるいは他の部署や社外の人に聞く必要があるかもしれません。これらは情報のありかや情報を知っていそうな人を知っているかどうかということであり、相手が人であればその人と近く相談できる関係ができているかということになります。

手元に集めた情報を加工して何かアウトプットを作っていくのだとすれば、そのプロセスにはなんらかのツールを使って分析したり見せ方を工夫したりと作業があるはずです。こういう細かい作業をどれぐらいのスピードで正確に捌いていけるかは過去に同じような作業をしたことがあって気をつけるべきコツや効率的にやるポイントを押させているかどうかというところによります。

まとめると、「素早く正確に」、は「アウトプットを作り上げるために必要なプロセスに(工夫しながら)取り組んだ経験がどれだけあるか」に依存するような気がします。

(1)付加価値のあるアウトプットを
次に言えるのが、「何が付加価値かを理解できるか、考えらえるか」ということです。作業は数をこなせばできるようになりますが、何が仕事の付加価値かを本当に理解するためにはかなり頭を使いながら取り組んで、やはりある程度経験を積む必要があると思います。また、これは逆に言えば「何は付加価値ではないか(どんなことをしたらその業界でバカだと思われるか)」を学ぶということでもあります。

これは(2)の数をこなせばわかっていく作業の話とは違う難しさがあって、例えば営業であればどんなことでお客さんはよく悩むのかとかそこでどんなことを伝えたらウケる(可能性がある)かとか、さらに言えば個々のお客さんにどんなクセや個性があるのかを理解することであったりします。製品を作る仕事であれば、ユーザーが何を製品をどのように使っているかをきちんと理解することであり、その上でユーザーが本源的に求めていることが何で、さらに他社と比べて何がどのような理由で自社の強みになっているのか、なっていないのかを理解するプロセスでもあります。

これらの、その業界や商品で付加価値が何かを理解し、そのアウトプットを求めるための作業をどうしたら素早く正確に(ライトパーソンを知っているという意味もふくめて)こなせるようになるか、これらがいわゆる「業界知識」や業界の経験と呼ばれるものなのだろうと思います。私がある友人と話しているときに彼が言っていたのは「相手がプロかどうかは業界のトピックについてどれだけ的確に論点を把握していて何かしら自分の意見があるかどうかでわかる」ということ。言葉は違いますが、業界における付加価値が何かを理解しているということはそういうことかと思います。

(3)出せる
製品だとアウトプットを出すのはモノを出すということだと思ったのでここでは「出せる」と書きましたが、ビジネス職であればこれは「コミュニケーションをとる」と言い換えても良いように思います。

これは、広い意味に言えば業界知識ではなく社内外を問わず相手とどのようにコミュニケーションをとるかという意味であり、狭い意味で言えば自分が相対する社内外の相手のことをどれだけよく知って適切にコミュニケーションをとることができるかという話かと思います(後者は、その業界が狭い業界であれば「業界知識がある・経験がある」と同義であると言えます)。

会社ではなくその人に付加価値としてバリューが付くレベルの人材になるためには、ジュニアであれば深い(2)の知見が、シニアであれば深い深い(1)と(3)の知見(と望ましくは(2)の経験)が必要になると考えます。また、社内で新しい仕事に異動をした場合も、何をキャッチアップすれば良いんだっけということをざっくりと考えるとこの3つに集約できるのかなあと思う次第です。

『日本の人事は社風で決まる』

「日本の人事は社風で決まる」を読了しました。

日本の人事は社風で決まる---出世と左遷を決める暗黙知の正体

日本の人事は社風で決まる---出世と左遷を決める暗黙知の正体

銀行、セブンイレブン楽天などで人事関係の仕事を20年以上してきた著者が日本企業の人事について「語る」本です。本の冒頭が「大学を卒業して30年も経つと、もはやビジネスマンとして失うものはほとんどない」というフレーズから始まるためか、著者がかなりぶっちゃけてウンチクを書いてくださっています。この内容を1400円で教えていただけるとは、読書の投資対効果は素晴らしいと思いました。組織と人事に関心のある方は、サッと読めますので是非お手にとってみてはいかがでしょうか。

私は、社風は「その会社が何を良しとするか」で決まると思っています。そして、著者が本書で議論をしていますが、会社(に限らずある組織)が何を良しとするかは、「現在」を切り取ると顧客との関係やビジネスモデル(何が儲けを決するか)によるのかなと。しかし、会社は無から突然生まれるわけではないので、歴史(創業時に作られたカルチャー)と株主ないし社長(企業の究極の最終意思決定者)の強い影響を受けると整理しています。

本書の終わりで著者は「日本のサラリーマン生活にはそれなりの魅力があり、心のどこかで出世を夢見ているのだ」と書いていますが、私はこの記述は少なくとも現在の30代半ばよりも下の世代には当てはまりにくいと感じています。著者との認識の違いは、世代の差によるものと推測します。

私も、日本のサラリーマン生活にはそれなりに魅力があると思うのですが、その理由は「人間はあるコミュニティに所属することに安心感/喜びを見出すから」+「会社が面倒を見てくれるという安心感で何となくお金の心配をしなくていいから」という人間として非常に根源的な欲求(コミュニティへの帰属欲求+生存欲求)によるものだと思っています。簡単に言えば、毎朝職場に行って、見知った顔の人たちがいて、自分の部署以外にも多くの見知った人たちがいて仕事をする、かつその環境をしばらく先までは続けて行けることが「保証」されているという環境は、単純に心地よいということです。日本企業は、長期雇用によってコミュニティを作っています。

現代のアメリカ企業は短期で人が回転するので会社がコミュニティになりにくく、また現代においては常にクビというプレッシャーがかかっているので、自分の身を自分で守るために自分のキャリアを中心に考える必要があり、日本人のような「サラリーマン」という発想にはならないのかなと思っています。ただ、アメリカ企業においても社風が人の選抜をしているのは同じで、アメリカ企業は社風がミッションステートメントやビジョンとしてより明文化されているというのが私の理解です。

本書の中で時間軸という言葉が出ていますが、組織はビジネスの時間軸に合って形作られるべきで、ビジネスの時間軸と組織の時間軸が合っていないとその組織は破綻します。日本の会社は長い時間軸で組織と人を作りますが、現在において、その長い時間軸が求められるビジネスの数は、昔と比べて大きく減っているはずです。逆に、ビジネスと時間軸が合っていればその組織は人の時間軸が長くても問題なく、「変わらなくても良い」企業というものも存在するのだろうと感じています。